広島高等裁判所岡山支部 平成8年(う)55号 判決 1997年11月12日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、検察官中村雄次名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、弁護人佐々木浩史名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討する。
一 事実誤認の論旨について
所論は、要するに、原判決は、原判示第一の各強盗殺人の事実のうち、実母C子に対する殺害について、金品強取の目的ではなく、実父B殺害の犯行発覚を隠ぺいする目的、すなわち「C子が騒ぐことを恐れ、B殺害の犯跡を隠ぺいするため」であった旨認定したが、原審において適法に取り調べられた各証拠により認定される客観的事実を総合すれば、被告人が金品強取の犯意をもって、BのみならずC子をも殺害して同女らの通帳等を強取した事実は明白であり、原判決がC子の殺害について金品強取の目的を認定しなかったのは、証拠の評価及び取捨選択を誤った結果であって、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。そこで、まず、これについて検討する。
1 B及びC子の殺害に至る経緯並びに殺害及び金品持ち去りの状況等は、以下のとおりである。
(一) B及びC子の殺害に至る経緯
(1) 被告人は、昭和四〇年一〇月に妻Hと結婚し、同女との間に二人の子供をもうけたが、昭和六一、二年ころまでは賭け麻雀に凝っていたこともあって、昭和五八年一月ころ以降、いわゆるサラ金から金員を借り入れるようになり、平成元年にスナックで知り合った夫のあるA子と親密な交際を始めるや、同女との交際費等もかさむようになって、金融機関や勤務先からも借金を重ねるようになった。平成二年から平成三年にかけて、一段と借金が増加し、勤務先にサラ金からの督促の電話が掛かるようになり、その応対や借金の返済に追われる状態となった。被告人は、そのころから体に不調を覚え、医師の診察を受けた結果、平成四年四月に慢性関節リューマチと診断され、通院による注射、投薬等の治療を受けたが、痛みのため、日常生活や仕事にも支障を生じるようになり、借金の返済のためBに金員の借入れを申し入れたものの、これを拒否され、C子や妻H子の母及び勤務先から借金を重ねていた。
平成五年になると、サラ金等一五社への毎月の返済額が合計四〇万円近くにも達し、被告人の給料だけでは到底支払えない状態になり、同年一月には、C子からBに内緒で三〇万円を借り受け、これを借金の返済に充てるなどしていた。なお、昭和五八年一月ころから平成五年四月ころまでの間のサラ金等一五社(勤務先やC子及び義母からの借入れを除く。)からの借入金総額は一五四四万円余りに達しており、同年六月当時における未払額は元利合計四〇〇万円余りにもなっていた。サラ金等への返済の工面ができなくなった被告人は、同月、債権者の追及を逃れるため、勤務先の丙川建設有限会社を無断欠勤し、そのまま退職したが、退職したころには、リューマチが悪化していて、就労が困難な状態になっていた。
(2) 被告人は、宗教活動に力を入れる妻H子との間が疎遠になる一方で、A子との交際にのめり込んでいくようになり、平成二年二月ころから、岡山市内のアパート等で夫が大阪に単身赴任中の同女と半ば同棲のような生活を送るようになった。その後、同女と喧嘩をしたり、同女の夫の単身赴任が解消したことが原因で、一時期同女と別れて暮らしたこともあったものの、被告人が妻子のもとに帰ることはほとんどなく、妻に対しては、昼は会社で働き、夜は、やくざのやっている代行運転業の電話番として、その事務所で寝泊まりしている、やくざの親分に金を都合してもらっており、義理があるので、家には帰れないなどと説明していた。A子と別れても、間もなくよりを戻し、同女との半ば同棲のような生活を続けていたが、リューマチで痛む体のマッサージをするなどして献身的に尽くしてくれる同女を愛しく思い、同女と別れることは考えられないようになっていた。前記のとおり平成五年六月に勤務先を退職した後も、A子に対し退職したことを隠していたが、同年七月ころには、被告人が勤務先を退職したことやサラ金等から四〇〇万円を超える借金のあることが同女に発覚したものの、その後もほかで働いているように装い、同女との生活を維持するため、同年七月に二〇万円、同年九月に三〇万円をC子からBに内緒で借り受け、その中から給料だと嘘をついてA子に生活費を渡していた。しかし、実際には再就職もできないまま、同年九月初めころ、A子と一緒にしていたぱちんこ店の清掃のアルバイトもやめて全く収入がなくなり、多額の借金やリューマチの病状を心配したA子から、両親の家に帰ることを勧められるようになっていた。
(3) 被告人は、同年一一月ころにも、A子に生活費を出してもらう一方、同女からアパートの家賃の支払が滞っていることや両親の家に帰るように言われたことなどから、同女の心をつなぎ止め、同女との生活を維持していくためには、何とかして金を借り入れなければならないと考えたが、同年九月にC子から三〇万円を借り受けた際に、「これが最後ぞ。」と強く言われたこともあり、C子に借金を依頼することはできず、同年一一月五日ころ、親戚のIに借入れを申し込んだが断られ、その後も、A子に対しては、借金の当てがあるように取り繕ってはいたものの、他に当てがあるはずもなく、最後にはBに頼るよりほかに仕方がない状態となっていた。そこで、被告人は、あらかじめBの機嫌をうかがうために、同年一二月二日と翌三日に連続して同人方を訪れ、同人及びC子と雑談をして帰り、「明日こそは是非ともBに借金を申し込もう。」と決意した。なお、三日の帰り際に、C子は、被告人に対し、「ちいたあ食べにゃいけんで。」と言って、インスタントコーヒー、食パン及び砂糖を持ち帰らせている。
(二) B殺害の状況
被告人が、同月四日午後一時過ぎころ、B方を訪れた際、同人とC子がいたが、同女が買物のため間もなく外出したので、被告人は、同日午後一時三〇分ころ、B方四畳半の間で、同人に対し、「一〇〇万円ほど貸してもらえんじゃろうか。体の調子が悪いんで仕事もしとらんから、生活費にも困っとるんです。」など切り出したところ、同人から、「お前が来るのは金の無心をするときだけじゃ。とにかく仕事をせえ。お前が何でおれのところに金を借りにこんといけんのなら。お前がおれを養うのが本当じゃろうが。」などと言われ、さらに、正座して畳に額をこすり付けて涙を流しながら、「どうしても金が要るので何とか助けてください。」などと重ねて借金を申し込んだが、なおも同人から、被告人及び妻子に対する小言や悪口等を言われたり、「自分で働けんのなら死んでしまえ。何べん言うても同じじゃ。お前に銭を貸すくらいなら市にでも寄付をする。貸さんもんは貸さん。」などと言われたことから、被告人は、腹立ちまぎれに、「どねん言うても貸さんのじゃな。」などと大声を出し、同人からは、「貸さん。」などと怒鳴り返される事態となった。そこで、被告人は、これ以上頼んでも同人から金を借りることはできないと思い、「ほんならええわ。」と言って、隣の表六畳の間に行こうとしたが、そのとき、右四畳半の間のステレオラックの上に長さ一五〇センチメートルくらいの荷造り用のナイロンひもが折り畳まれて置かれているのが目に付いた。
被告人は、右六畳の間で、少なくとも一、二分間ベッドに腰を掛けて考え込んでいたが、その後、立ち上がって右ナイロンひもを手に取り、右四畳半の間にいたBに、気付かれないようにその背後から近づき、同人の背後から右手で「の」の字を書くようにして右ひもをその頚部に巻き付けてその両端を両手で約五分間力一杯引っ張って絞め付け、同人を窒息させて絞殺した。
(三) B殺害直後の被告人の行動
被告人は、Bを殺害した後、当該ナイロンひもを同人の頚部から外し、大変なことをしてしまったと思ったが、買物に出掛けたC子が帰ってくることに気が付いて、Bの死体を隠さなければいけないと考え、右ナイロンひもを元の場所に置き、同人が寝ているように見せ掛けるため、こたつの掛け布団を同人の首から下の体の上に掛けてから、再び右六畳の間に行き、約一〇ないし一五分間ベッドに腰を掛けていた。
(四) C子殺害の状況
平成五年一二月四日午後二時ころ、被告人が右六畳の間のベッドに腰を掛けて考え込んでいるときに、買物から帰ってきたC子が、Bの台所勝手口から屋内に入り、右四畳半の間に横たわっているBに気付き、驚いて同人のもとに駆け寄り、「おじいさん、どうしたん。」とうろたえた声を上げたところ、被告人は、前記ナイロンひもを手に取り、Bの顔をのぞき込んでいるC子の右背後から同女に近づき、右ひもをその頚部に巻き付けて力一杯絞め付け、同女が、「ああちょっと待ってん。何するん。」と言ったにもかかわらず、その頚部をなおも絞め続け、同女を窒息させて絞殺した。
(五) C子殺害直後の被告人の行動
C子殺害後、被告人は、外から家の中をのぞき込まれたら困ると考え、右四畳半の間において、こたつの台を窓ガラス側に立て掛けた上、両親の死体を並べて仰向けに寝かせて足下の方からこたつ布団をかぶせ、顔にはシャツや布をかぶせた。そして、被告人は、動悸が乱れ、のどが渇いていたことから、台所で水道の水を飲んだ後、台所のテーブルのいすに腰を掛け、三〇分間くらいぼう然とした状態で過ごした。
(六) 金品の物色及び領得等の状況
その後、被告人は、同日午後三時ころから約一時間にわたり、北側の奥六畳の間、前記表六畳の間、同四畳半の間及び玄関を順次物色し、奥六畳の間の押し入れからC子所有の郵便貯金総合通帳一冊及び印鑑三個在中の印鑑ケース一個(時価約一万四五〇〇円相当)を、右四畳半の間のステレオラックの中からB所有の現金三万円を、玄関の下駄箱の引き出しの中から同人所有の郵便貯金総合通帳一冊、株式会社中国銀行発行の普通預金通帳一冊、キャッシュカード二枚及び印鑑一個在中の印鑑ケース一個(時価約九〇〇〇円相当)並びにC子所有の株式会社中国銀行発行の総合口座通帳一冊を見付け出してこれらを領得し、それから、人目を避けるため、辺りが暗くなるのを待って、同日午後五時半過ぎにB方を出た。
2 被告人のB殺害の目的について
原判決は、B及びC子殺害の経緯、B殺害の状況、同人殺害直後の被告人の行動、C子殺害の状況、同女殺害直後の被告人の行動並びに金品の物色及び領得等の状況について、右1とほぼ同旨の事実を認定した上で、Bの殺害については金品強取の目的があったことを認定したが、被告人は、捜査段階での供述を翻し、原審及び当審公判において、Bから借金を断られた上、言い合い、ののしり合いとなって感情を抑えられなくなり、かっとなってこれを殺したものであり、同人殺害につき金品強取の目的はなかった旨供述しているので、まず、被告人の同人殺害の目的について検討する。
右1で認定のとおり、被告人は、本件当時、多額の借金を抱えていた上、収入を得る見通しはなく、経済的に極めて窮迫した状況にあったこと、半ば同棲の生活を送っていたA子に強い愛着を感じていたので、同女と別れることは念頭になく、同女の心をつなぎ止め、同女との生活を維持していくためには、金を借り入れる以外に方法がないと思い詰めていたこと、しかしながら、それまでのいきさつから、借金を頼む相手としてはBしか残されていなかったため、犯行当日に同人方を訪ねた際、何としても同人から金を借り入れなければならないという切羽詰まった心境であったことが明らかである。そして、このような被告人の犯行当時の経済状況と心境に加え、B方四畳半の間で、被告人が同人に窮状を訴えて何度も頼んだにもかかわらず、同人から借金の申入れを断られた上、強く叱責されたものの、その内容は、年老いた両親を養うべき立場にある息子から金を無心されたことに対する不満や被告人の生活態度等に対する非難であって、父親の立場からは無理からぬものであり、格別に理不尽というべきものではなく、被告人としても本来甘受すべきものであったから、右叱責に発する憤激のみを同人殺害の動機とするのは不自然であること、被告人には、隣の六畳の間のベッドに腰を掛けて考え込んだ時間が少なくとも一、二分間はあったのであり、その後で、同人に気付かれないように背後から近づいて絞殺に及んでいるのであって、右絞殺行為をもって、同人の言動に触発され、激昂してなされた衝動的な行動であるとすることには無理があること、被告人は、同人殺害後、直ちに逃走したり、自首したりすることなく、買物から帰宅したC子を殺害した上、B方の各部屋を物色し、金品を領得していることを総合して考えると、被告人の自白を待つまでもなく、また、被告人がたといこの点を否認しようと、最後の頼みの綱であったBからの借入れが不可能であると認識し、その場で同人を殺害して金品を奪うほかないと思い付き、同人の殺害に及んだものと優に認めることができ、要するに、被告人には同人の殺害につき金品強取の目的があったものというべきである。いわんや、被告人は、捜査段階の当初から原審公判において否認するに至るまで、同人殺害につき金品強取の目的があったことを認める供述をしていたのであるから、右目的があったことは、いっそう揺るぎないものというべきである。
3 C子殺害の目的及び殺意形成の経緯について
原判決は、C子の殺害については、Bの殺害についてと異なり、被告人がB殺害の事実をC子に知られて騒がれたくないという口封じの目的からとっさに殺意を抱き、C子殺害に至ったものと認めるのが相当であるとし、金品強取の目的があったことを認める捜査段階における被告人の供述は信用できず、他に右目的を認めるに足りる証拠はないと判断している。
そこで、次に、C子殺害の目的及び殺意形成の経緯について検討する。
前記1で認定した事実によれば、被告人は、Bを殺害した後、ナイロンひもを同人の頚部から外し、大変なことをしてしまったと思ったが、買物に出掛けたC子が帰ってくることに気が付いて、Bの死体を隠さなければいけないと考え、ナイロンひもを元の場所に置き、同人が寝ているように見せ掛けるため、こたつの掛け布団を同人の首から下の体の上に掛けているのであって、同人を殺害した直後にしては、目的意識を持って、比較的冷静に行動していることがうかがわれ、被告人の精神状態が、原判決のいうように、およそ合目的的な行為に出る余裕もないほどにぼう然たる状態にあったとまでは認め難いこと、C子が買物から帰ってくるまでに、被告人が表六畳の間のベッドに腰を掛けていた時間は約一〇ないし一五分間であり、いくらかでも気を静め、思案を巡らす時間的余裕があったこと、被告人は、Bの死体に布団を掛けたとはいえ、C子が帰宅した場合、同女がBの異常に気付いて騒ぎ立てたりすることは、十分予測された事態であるといえること、C子は、帰宅後前記四畳半の間に横たわっているBに気付いて同人のもとに駆け寄り、「おじいさん、どうしたん。」とうろたえた声を上げたのであるが、C子の右言動は、被告人にとって予想外のものであったとは認められないこと、被告人は、直ちにC子の右背後から同女に近づき、その頚部をナイロンひもで絞め付けて殺害に及んでいるのであるが、この殺害行為をもって、同女の右言動のみに触発された発作的、衝動的行動であるとは認め難く、したがって、原判決のいうようにその際とっさに殺意が生じたものと認めることには疑義があること、同女は、何度もBに内緒で被告人に金を融通しており、平成五年九月に三〇万円を融通した際に、貸すのは最後である旨通告してはいるものの、被告人が犯行前日に訪ねて来た際には、帰り際に被告人の体を気遣ってインスタントコーヒーや食パンを持ち帰らせるなどしているところ、このような関係にあったC子に対し、もとより被告人が憎しみを抱いていたとは考えられないのであって(被告人も同女が可愛がってくれた旨供述している。)、ただ単にその口を封じるためだけに、同女の殺害にまで及ぶというのはいかにも不自然であること、被告人は、同女殺害後、外から家の中をのぞき込まれたら困ると考え、こたつの台を窓ガラス側に立て掛けた上、両親の死体を並べて仰向けに寝かせて足下の方からこたつ布団をかぶせ、顔にはシャツや布をかぶせているのであって、B殺害直後と同じく、目的意識を持って、比較的冷静に行動していることがうかがわれること、以上の点を指摘することができる。
これらの諸点及び前記認定のC子殺害後の被告人の行動に照らすと、他に特段の事情のない限り、金品強取の目的でBを殺害してしまった被告人が、金品を奪い取るためにはC子をも殺害するしかないとの気持ちを抱くようになり、その実行に及んだものと認め得べく、要するに、被告人には同女の殺害につき金品強取の目的があったものというべきである。そして、被告人は、両親を殺害後、前記認定の一応の隠ぺい工作をしてから、台所のいすに腰を掛け、三〇分間くらいぼう然とした状態で過ごしており、C子殺害後直ちには物色行為に着手していないのであるが、両親を殺害するという大罪を犯した直後でもあり、また、犯行場所が勝手を知った両親方であって、他人から疑われるおそれは少なく、急いで物色行為に及ぶ必要はないことからすると、被告人が直ちに物色行為に及んでいないことをもって、金品強取の目的があったと認定することの妨げとなる特段の事情となすことはできない。他には、被告人の供述はさておき、右特段の事情は見当たらない。
4 右目的及び殺意形成経緯に関する被告人の捜査段階における供述の信用性について
被告人は、平成六年三月六日、殺人、死体遺棄の被疑事実により逮捕され、同月八日、右被疑事実で勾留され、同月二七日、強盗殺人、死体遺棄の事実で起訴されたものであるが、逮捕当初から殺人、死体遺棄の被疑事実についてはこれを認めていたところ、同月九日付け司法警察員に対する供述調書(原審検察官請求の証拠番号三一五。以下「原審検三一五」というように表示する。)には、Bの殺害については金品強取の目的を認め、C子の殺害については、Bの遺体を見て騒いだことから、口封じのために殺した旨の供述記載があるものの、同月一六日付け検察官(J)に対する供述調書(原審検三四八)には、C子の殺害について、B殺害後、ベッドに腰を掛けて母が帰ってきたらどうしようなどと考えているうちに、父の通帳等を奪うために母も殺してしまわなければならないと思った、帰ってきた母が父の死体の顔をのぞき込んで大きい声で呼び掛けたので、自分がやったことがばれてしまうと思い、父の通帳等を奪うためには母を殺してしまうほかないと思った旨の供述記載があり、同月二一日付け司法警察員に対する供述調書(同三三四)には、右と同趣旨の供述記載に加え、金を奪い取るためなら母をも殺さないとできないと考えた自分の心が鬼のように思えて、このことをたやすく捜査官に供述することがはばかられ、それまでは、口封じのために殺したと供述してしまった旨の供述記載がある。
そして、当審証人Jの供述によれば、被告人の取調べに際し、父親を殺害した後で何故逃げなかったのか、父親を殺して大変なことをしたという気持ちがあるのに、何故母親を殺したのか、大変なことをしたという悔やみの気持ちがあるのであれば、母親が騒がないようにするいろんな手立てがあったのではないか、優しくしてくれた母親を単に口封じのために殺すのはおかしいではないか、事情を説明して相談してもよかったのではないか、何故自首しなかったのか、どういう気持ちから母親を殺したのか正直に話してわびるべきではないかなどと疑問点を質す形で取調べを進めた結果、多少顔つきが和らいできて、被告人の口から前記供述調書記載の内容の自白が得られたことが認められ、虚偽の供述を引き出すような理詰めの追及がなされた形跡はうかがわれないこと、金品強取の目的があったことを認める右各供述記載の内容は前記認定にかかるC子殺害前後の状況に沿うものである上、右内容自体にも何ら不自然、不合理な点はないこと、自分の心が鬼のように思えて、真実を述べ切れず、口封じのために殺した旨供述したという点も、被告人の母親に対する心情を察すれば、了解可能であることに照らし、C子殺害について金品強取の目的を認める被告人の捜査段階における右各供述は、十分信用できるものというべきである。
5 右目的に関する被告人の原審及び当審における公判供述の信用性について
被告人は、原審及び当審公判を通じ、B及びC子殺害についての金品強取の目的に関する点を除き、捜査段階とほぼ同旨の供述をしているところ、右公判において、C子の殺害は、口封じのためであって、金品強取の目的はなく、捜査段階でこれを認めるに至ったのは、J検察官から、<1>逃げていない、<2>自首していない、<3>金を盗もうとした(あるいは金を盗んだ)の三つから一つを選べと言われて<3>を選ばざるを得なかったからであるなどと供述しているが、右供述は、意味不明で、採用の限りでないこと、B及びC子の殺害の目的に関する公判供述のうち、Bに係る部分は信用できないが、C子に係る部分は信用できる、あるいはたやすく否定できないとする合理的根拠を見いだし難いこと及び当審証人Jの前記供述内容に照らし、C子殺害の目的についての被告人の右公判供述は、到底これを信用することができない。
6 以上の次第であるから、原判決が、C子殺害について、「C子が騒ぐことを恐れ、B殺害の犯跡を隠ぺいするため」であると認定し、金品強取の目的を認めなかったのは誤りであり、原判決には、同女殺害についての金品強取の目的について、事実の誤認がある。
そこで、判決への影響について検討するに、原判決も、C子の殺害について、強盗の機会におけるその発覚を防ぐための犯行であるとして強盗殺人罪の成立を認めているのであるから、構成要件的評価としては何ら差異を生じないこと、C子の殺害は、金品強取の目的でBを殺害後、同一機会に、同一場所で敢行されたものであるから、その動機がBの殺害を隠ぺいするためのものであったのか、それとも金品強取の目的があったのかによって、犯情において量刑に格段の影響を及ぼすほどの違いが生じるものとは認め難いことを考慮すると、原判決の右の誤りを目して、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認であるということはできない。したがって、結局のところ、論旨は理由がないことに帰する。
二 量刑不当の論旨について
所論は、要するに、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は軽過ぎて不当である、本件各犯行は、犯行の動機において酌量の余地は全くなく、残忍非道を極めた犯行であって、結果の重大性はいうに及ばず、いかなる面からみても極刑をもって臨むほかないというべきであるから、被告人に対しては死刑に処するのが相当である、というのである。よって、さらに、この点について検討する。
1 本件は、被告人が、A子との不倫関係を維持継続する等のためにサラ金等から多額の借金を重ね、その結果失業を余儀なくされた上、持病の慢性関節リューマチが悪化して働くこともできず、不倫相手であるA子との半ば同棲のような生活を続けるための生活費にも窮するようになったことから、平成五年一二月四日、父親のB方を訪れ、同人に借金を申し込んだところ、同人から小言や悪口等を言われたりした上、強く借金を断られたため、同人を殺害して金品を奪うほかないと決意し、同人の頚部を手近にあったナイロンひもで強く絞め付けて絞殺し、さらに、間もなく買物から帰宅し、動揺した声を上げた母親C子についても、金品を奪うためには、殺害するほかはないものと決意し、その頚部を同じく右ひもで強く絞め付けて絞殺し、その後で、B方から同人又はC子所有の郵便貯金総合通帳等を強取し、同月六日ころ、B方において、同人及びC子の各死体をそれぞれ布団袋に詰め込んだ上、同月七日ころ、右両死体の入った布団袋二個を軽四輪貨物自動車の荷台に乗せて、通称貝殻山スカイライン路上まで搬送し、まず、Bの死体が在中した布団袋を路外の崖下に投棄し、さらに、その場から約一二二メートル右自動車で移動した路上から、C子の死体が在中した布団袋を路外の崖下に投棄し、もってそれぞれ死体を遺棄し、右強取に係るB又はC子名義の各郵便貯金総合通帳及び印鑑を使用して郵便貯金払戻名下に金員を騙取しようと企て、同月六日から平成六年二月一七日までの間、前後五回にわたり、B又はC子名義の郵便貯金払戻金受領証等を偽造し、これを右郵便貯金総合通帳とともに提出行使して、現金合計二六四万円を騙取したという事案である。そして、本件各犯行に至る経緯、B及びC子殺害の動機、殺害状況等の詳細については、前記一で認定したとおりである。
2 そこで、まず、原判決の判示を論難する検察官の所論について順次検討する。
(一) 原判決が、本件強盗殺人が計画的ではなく偶発的犯行であると判示し、これをしん酌すべき事由としたのは失当であるとの所論について
所論は、原判決は、「本件強盗殺人は借金の申込みを断られた末、とっさにその場で思いついた犯行であって、計画的犯行ではない。」と判示し、これをしん酌すべき事由の一つとしているが、本件強盗殺人は、被告人が当初から強盗殺人を企図してB方へ赴いたものではないものの、同人が借金の申込みに応じる見込みのないことはあらかじめ予想できたことであり、同人から叱責されたのも当然であったのに、自己の生活態度を省みることなく、金品強取の目的で実父殺害という凶行に及び、同様の目的で実母C子をその帰宅直後に殺害し、その後家中を物色して両親の通帳等を奪い、次々と現金を騙取している上、犯行の発覚を防ぐために、両親が転居したかのように装い、両親の死体を発見が極めて困難な場所に遺棄しているのであるから、計画的犯行と同視すべきものである、というのでである。
しかしながら、本件強盗殺人は、前記一の1ないし3で認定したとおりの経緯と動機から敢行されたものであるところ、Bが借金申込みに応じる見込みが極めて少ないことは、被告人としてもあらかじめ予想できたものといい得るものの、その見込みが全くないと確定的に予想できたとまではいえず、さればこそ、被告人は、いちるの望みを抱いて、熱心、かつ、執ように借金の申込みをしたのであるというべきであって、このようにみると、本件強盗殺人は、やはり、計画的犯行ではなく、Bの殺害は、被告人がその場で思いついて敢行した偶発的なものと評価すべきであり、C子の殺害もまた、もとより偶発的なものというべきである。被告人のその後の行動は、それなりの非難をなすべきものではあるが、これがあるために、本件強盗殺人を計画的犯行と同視すべきものとなすことは相当ではない。所論は採用できない。
(二) 原判決が、殺害方法は被害者の苦しみを殊更増大させるような執ようあるいは残虐な手段ではないと判示したのは失当であるとの所論について
原判決は、「殺害方法は、その場にあったナイロンひもで絞殺するというもので、被害者の苦しみを殊更増大させるような執ようあるいは残虐な手段ではない。」と判示し、これをしん酌すべき事由の一つとしているところ、所論は、右の点について、被告人は、年老いた両親の頚部にいきなりナイロンひもを巻き付け、頚部を力の限り絞め続けてこれを絶命させるに至った、特に、C子に対しては、同女が「ちょっと待ってん。何するん。」という言葉を発した後も、力を緩めることなく絞め続けたものであるが、およそ、絞殺という殺害方法は、即死させることができず、被害者の頚部を絞め続けなくては被害者を死に至らせることができない殺害方法であって、被害者は意識を失うまで苦しみを感じ続けるのであり、他の殺害方法と比べて苦痛が少ないなどと評価できるものではないから、本件殺害方法が格別酌量すべき事由になるとは考えられない、というのである。
被告人の両親に対する本件各殺害の方法は、前記一の1で認定したとおりであって、執よう、かつ、冷酷なものであることは明らかであり、被害者に対する苦痛が少ないなどということができないことは所論指摘のとおりである。しかしながら、刃物や鈍器を用いるなどして、その手段が本件より残虐で悪質な態様の殺害方法があることもまた明らかであって、かかる事案と異なることを量刑の一つの事情としてしん酌することはむしろ当然のことであり、原判決の右判示もそれ以上の趣旨を含むものとは解されない。所論は採用できない。
(三) 原判決が、遺族の被害感情に変化が認められると判示したのは失当であるとの所論について
原判決は、「遺族の被害感情、特に本件では被害者らの二男であり、かつ、被告人の弟であるGの被害感情が考慮されるべきであるが、同人は当初極刑を望んでいたものの、立場の複雑さからかその後の心境には変化が認められる。」と判示し、これをしん酌すべき事由の一つとしている。所論は、右の点について、確かに、Gは、被告人の検挙直後は積極的に被告人に対し極刑を希望していたが、現在では若干その心境に変化があるようにうかがえるものの、同人は、犯罪後の被告人の何らかの行為によって慰謝されたというのではなく、被告人が血を分けた肉親であり、その子供らのことを考えると、自己の口から被告人を極刑に処してほしいということがはばかられるというにすぎないのであって、原判決がGの微妙な真意を理解しないまま、同人に格別の心境の変化があったかのようにとらえ、これをしん酌すべき事情であるとするのは失当である、というのである。
しかしながら、Gは、検察官に対する平成六年一〇月一二日付け供述調書(原審検三六三)において、今年の三月一七日に、刑事さんから処罰感情を聞かれましたが、当時は、父母の死を知ってまだ間もない時期であり、三月四日に警察で見せてもらったむごたらしい父母の遺体の写真が脳裏に焼き付いて離れず、父母をこのような無残な姿にした兄に対する憤りで興奮がまだ覚めていないころでしたので、実の兄とはいえ、これほどのことをしたのだから、死刑になるのが当然だ、それでも足りないくらいだと思い、「極刑をもってしても足らないと思います。」と私の当時の正直な気持ちを調書に書いてもらったが、基本的には右のような気持ちに変わりはないとしながらも、その後、被告人の子供から被告人と面会したり、手紙を交わしたりしている事実を聞いて、大罪を犯したとはいえ、兄もやはり私と同様人の子の親なのだとあらためて感じ、子供を持つ親という立場からみれば、子供に対してみっともない姿をさらしている兄がふびんに思え、また、現在では、三月の時点からかなり時間が経過して、ようやく心の平静を取り戻したことから、血を分けたたった一人の兄ということもあり、現在の私の正直な気持ちは、「犯した罪が罪なんだから、犯罪に応じたそれ相応の処罰を受けるのはやむを得ないというものです。」とその心情を吐露しているのであって、被告人に対する処罰感情として、Gの心境に変化が認められることは事実であるから、原判決の説示は相当であり、所論は採用できない。
(四) 原判決が、被告人はおおむねまじめに稼働して犯罪とは無縁の生活をしていたと判示したのは失当であるとの所論について
原判決は、「被告人には前科がなく、その生活態度には非難されるべき点はあるにしても、おおむねまじめに稼働して犯罪とは無縁の生活をしてきた。」と判示し、これもしん酌すべき事由に掲げている。所論は、右の点について、被告人は、A子と知り合う前から麻雀等の遊興にふけり、借金を重ね、そのことが原因で妻子との家庭は崩壊していた上、A子と知り合ってからは、同女との不倫関係を維持継続するため、無軌道、無計画にサラ金等から借金を重ね、その結果失職のやむなきに至ったものであって、その成り行き任せの生活態度は、破たんを来すべき要素があり、決してまじめなものであったと評価することはできないし、被告人に前科がないことを殊更重視することも失当である、というのである。
ところで、被告人は、前科がなく、平成五年六月に勤務先を退職するまでの間、定職に就いてまじめに働いており、勤務先を退職後就職しなかったのも、持病の慢性関節リューマチのためであって、勤労の意欲がなかったわけではなく、本件各犯行前の社会生活において、被告人には犯罪傾向をうかがわせる点は認められない。なるほど、被告人は、昭和六一、二年ころまでは賭け麻雀に凝っており、平成元年以降は、妻子のある身でありながら、家庭を省みることもなく、A子との不倫関係を継続し、これらが原因で多額の借金を抱えるなど、その生活態度に問題のあったことは所論指摘のとおりであるが、そのことから直ちに被告人に犯罪傾向があるということはできない。原判決は、被告人の右のような生活態度には非難されるべき点があることを前提にした上で、前科がなく、おおむねまじめに稼働して犯罪とは無縁の生活を送ってきたことを目して、被告人には犯罪傾向が認められないとしてこれを評価したものと思料され、被告人に前科のないことを殊更重視したものとも解されない。そして、被告人が雇用されたどの勤務先においても、被告人がまじめで仕事熱心であり、責任感もあって、礼儀正しかったなどとその勤務態度を評価しているのである。また、精神鑑定によれば、被告人は、社会的内向性がうかがわれるが、情緒的に安定しており、人格特徴は正常であることが認められる。この点に関する原判決の説示は相当であって、所論は採用できない。
(五) 原判決が、被告人は本件を深く反省悔悟していると判示したのは失当であるとの所論について
原判決は、「逮捕後は強殺の故意の点を除けば、事実を素直に認めて、自らの命をもって償いをしたい旨一貫して述べるなど本件を深く反省悔悟している。」と判示している。所論は、右の点について、被告人は、C子殺害の目的だけではなく、B殺害の目的も金品強取目的ではなかった旨弁解し、その殺害は同人から聞くに耐えないばり雑言を浴びせられたためであるなどと同人に責任を転嫁するかのような供述を繰り返しているのであり、さらに、A子にもいまだ未練を有しているのであって、被告人の原審公判における死をもって償いたいという言葉は、にわかに措信できるものではなく、被告人の態度からは、真しな反省悔悟の情を酌み取ることはできない、というのである。
しかしながら、被告人は、捜査段階並びに原審及び当審公判を通じ、本件各犯行のうち、強盗殺人の強盗の故意を除いては、ほぼ同旨の事実を素直に認め、自らの命をもって償いをしたい旨その心情を吐露しているのであって、公判審理の経緯及び公判態度に照らしても、右心情の告白が偽りのものであるとは認め難い。原審鑑定人も、その鑑定書において、「鑑定人は、これまでに精神鑑定を通じて多数の被告人に接してきた。その中で、本件の被告人のように自己を偽ろうとしない人格に接したことはない。すべてが自己の責任であることを認め、その責任を正面から受け止めようとする態度には敬意が持てた。」と指摘しているところである。なるほど、被告人は、原審及び当審公判において、強盗の故意を認めていないことは、所論指摘のとおりであるが、被告人は、捜査段階において、いみじくも、「金を奪い取るために母をも殺そうと考えた自分の心が鬼のように思えた。」と自分の気持ちを表現しているところであり、金品を奪うために両親を殺害したとは何としても考えたくないし、信じたくないという気持ちが働くのは、親を殺してしまった子供の心情として理解することができるのであって、かかる心情と反省悔悟の気持ちとは必ずしも矛盾しないものというべきである。原判決の説示は相当であって、所論は採用できない。
(六) 原判決が、本件は人々に社会不安等を与える程度の社会的影響は認められないと判示したのは失当であるとの所論について
原判決は、「本件は実父母強殺ということで社会的関心を集めたが、人々に社会不安等を与える程度の社会的影響は認められない。」と判示している。所論は、右の点について、本件は、瀬戸内海国立公園に指定され、家族連れなどが多く訪れる通称貝殻山スカイライン脇の山中から死体が発見されたという極めて特異な事件であり、付近住民に衝撃を与え、心胆を寒からしめたものである上、本件殺害現場も、犯罪とは無縁な閑静な地域で発生したものであって、ひっそりとした隠居生活を送っていた老夫婦が殺害された上、貯金をも引き出されるという凶悪な犯罪の発生により付近住民が深刻な不安に陥ったことは明らかであり、さらに、高齢化が進み、老人家族が増加している現代社会において、老夫婦が突然地域社会から姿を消して長期間所在不明であるのに誰にも気付かれずにいたということを考えると、本件犯行が社会に及ぼした影響は計り知れないものがあるのであって、原判決の判断は失当である、というのである。
しかしながら、本件は、実父母を強殺の上、その死体を山中に遺棄するなどしたという特異な事案であって、地域住民に対し衝撃を与えたことは所論指摘のとおりであるが、一方、もっとも重い強盗殺人に関する限り、直接的には、金の貸し借りに際しての親子間の紛争に端を発した偶発的なものであって、被告人の両親以外の他人に類を及ぼす危険性のあった犯行ではなく、一般人の社会不安を殊更駆り立てる側面は比較的少ないものといえるから、原判決の右の説示は必ずしも不相当とはいえない。所論は採用できない。
(七) 原判決が、一般予防の見地からの厳しい処罰の必要性を認め難いと判示したのは失当であるとの所論について
所論は、本件は、年老いた両親を殺害して通帳を奪い、その後両親の口座から現金を払い戻して愛人との遊興費等に費消したというまれに見る極悪非道な犯行であって、犯行自体死刑に値する事案である上、社会に深刻な不安を与えるほどの衝撃的な事件であり、少子化、高齢化がますます進行すると予想される今日、同種事犯の再発を防止することは国民の希求するところであって、この種事犯に対しては厳罰をもって臨むことが国民の司法に寄せる期待に応えるゆえんである、原判決の量刑では、被告人も十数年後には仮出獄の恩典に浴し、一般社会に復帰する可能性があるが、犯行時五〇歳を過ぎ、社会生活を積んで物事の道理をわきまえるべき年齢に達していたはずであるのに、本件のような極悪非道な犯罪を敢行した被告人に対し、いかなる矯正教育を施せというのであろうか疑問なきを得ない上、十数年で社会復帰の余地のあることを是認する原判決は、一般国民の正義感情に反し、また、刑の本質を損ない、人命軽視の風潮を助長し、ひいては国民の裁判に対する信頼を揺るがす結果となるものであるから、原判決の姿勢には到底左たんすることはできない、というのである。
しかしながら、原判決の右の指摘は、右(六)で説示したとおり、本件が人々に社会不安等を与える程度の社会的影響は認められないとの点を敷えんする趣旨のものであって、それ以上の趣旨を含むものとは思料されない。そして本件が世上まれな重大犯罪であることは、所論指摘のとおりであり、原判決も同様の見解を有していることは、その判示内容からも明らかである。なお、本件が極刑を相当とする事案であるかどうかは、記録に現われたすべての事情を検討した上、後に判断することとする。
3 以上検討した諸事情を前提として、本件の量刑について総合的に判断する。
死刑が人間の生命そのものを永遠に奪い去る究極の刑罰であることを考えると、その適用に当たっては、慎重の上にもなお慎重を期することが肝要であり、犯行の罪質、動機、様態(特に殺害の手段、方法の執よう性、残虐性)、結果の重大性(特に殺害された被害者の数)、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等諸般の情状を併せ考察し、その罪質が誠に重大であって、刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、また、同種事案との権衡の見地からも、極刑がやむを得ないと認められる場合にのみ、死刑を科すことが許されるというべきである(最高裁昭和五八年七月八日判決参照)。
ところで、本件の情状については、所論について検討する過程でおおむね説示したとおりであるが、まず、本件各犯行のうち、最も重い強盗殺人についてみるに、被告人が、妻子がありながら家庭を省みることもなく、愛人であるA子との不倫関係を維持継続するために、サラ金等からの借金を重ね、その結果勤務先からの退職を余儀なくされて失業した上、持病の慢性リューマチが悪化して働くことができず、収入がなかったのに、同女との不倫関係を解消する意思もなく、右関係を継続するためには是非とも金を入手する必要に迫られ、実父であるBに借金の申入れをしたところ、これを拒絶された上、同人から強く叱責されたため、金品を奪う目的で同人を絞殺し、さらに、間もなく買物から帰宅し、同人を見て動揺した声を上げた実母C子に対し、金品を奪うためには、同女をも殺害するほかはないものと決意し、絞殺に及んだというものであり、何よりも、二人もの尊い命を奪ったという結果において、誠に重大であり、犯行の動機は、自己中心的で、身勝手極まりない上、余りにも短絡的であるというほかなく、酌量の余地はないというべきである。犯行の態様は、各被害者に気付かれないように背後から近づき、その首にナイロンひもを巻き付け、力一杯絞め続けて絞殺した冷酷なものであるし、殺害後の金品奪取行為も、被害者である両親の死体のある家屋内で、約一時間も執ように物色し、現金や郵便貯金通帳等を探し出してこれを奪ったものであって、非情であり、悪質であるというほかない。死体遺棄についてみても、被告人が、硬直している両親の死体を無理矢理折り曲げ、ロープで縛って布団袋に詰め込み、山中の崖下に投棄したというものであって、被害者に対する畏敬の念の片りんすらうかがうことができない。被害者両名には何らの落ち度はなく、本来なら、死後懇ろに弔ってもらえるはずの実の子である被告人によって、無残にも命を奪われた上、その死体にもかかる仕打ちを受け、約三か月間も山中に遺棄された被害者らの無念さは察するに余りあり、哀切の情を禁じ得ない。さらに、有印私文書偽造、同行使、詐欺についてみるに、被告人が、前記強取に係る郵便貯金通帳等を使用して、前後五回にわたり、父又は母名義の郵便貯金払戻金受領書等を偽造し、これを右通帳とともに提出行使して、合計二六四万円を騙し取ったというものであるが、事情を知らないA子を欺いて右受領書を作成させたり、自ら市役所で戸籍謄本の交付を受けてこれを用意するなど、その手口は巧妙である上、自分の手であやめた両親の貯金を引き出すことに対するためらいの気持ちもうかがえない。また、本件各犯行後の行動についてみても、被告人は、平成五年一二月四日に両親を殺害して金品を奪取し、同月六日に二回にわたり合計二四〇万円を騙取し、同月七日ころには両親の死体を山中に遺棄した後、同月八日から一八日までの間に、被害者方の借家契約を解約し、水道代や光熱費を清算し、家財道具を処分するなどして、両親が転居したかのように装って犯跡を隠ぺいするとともに、敷金の返戻金や電話加入権の売却代金合計約一〇万円をも受領しており、このようにして取得した金員の中からA子に生活費等を渡すなどして同女との不倫関係を継続し、平成六年一月には、同女とともに北海道や北陸を旅行するなどし、なおも、同月から同年二月にかけて、三回にわたり合計二四万円の騙取行為に及んでいるのであって、被告人の罪責感や被害者である両親に対するれんびんの情を見いだすことはできない。加えて、本件が地域住民に与えた社会的衝撃にも軽視し難いものがある。以上のような事情からすると、被告人の刑事責任は誠に重大であり、被告人に対しては極刑をもって臨むべきであるという所論の見解も、あながち首肯できないわけではない。
しかしながら、一方、本件は、Bに借金の申込みを断られた上、強く叱責された被告人が、その場でとっさに同人を殺害して金品を奪うほかないものと思い付き、同人の殺害に及んだのがそもそもの発端であるところ、その動機に酌量の余地がないことは前記のとおりであるものの、右殺害は事前の計画に基づく犯行でないのはもちろん、当初から金品強取の目的を有していたわけでもないのであって、右殺害自体は偶発的犯行であるといえること、被告人は、失職後、持病の慢性関節リューマチの症状が悪化し、就労が困難な状態に陥り、そのことが収入の途を断たれる一因となったことがうかがわれ、右の事情は、被告人の責めにのみ帰することのできない本件に至る誘因として、しん酌する余地があること、ナイロンひもで絞殺するという殺害の方法が、刃物や鈍器等による執ようでせい惨な殺害方法との対比において、格別に残虐であるとまではいえないこと、被害者両名の二男であり、被告人の弟でもあるGは、当初極刑を望んでいたものの、その後、犯罪に応じた相応の処罰を求めると述べるなど、その心境に変化が認められ、被害感情が幾分和らいでいることがうかがわれること、被告人は、前科がなく、平成五年六月に失職するまでの間、結婚前後を通じ、定職に就いておおむねまじめに働き、各勤務先からも勤務態度が良好であると評価されており、人格的にも正常で、やや内向的な傾向があるものの、情緒的に安定していて、犯罪傾向はうかがわれず、その年齢を考慮しても、まだ十分更生の可能性が認められること、被告人は、捜査段階並びに原審及び当審公判を通じ、本件各犯行のうち、強盗殺人の強盗の故意の点を除き、ほぼ同旨の事実を素直に認め、自らの命をもって償いをしたい旨その心情を吐露しているのであって、本件を深く反省悔悟しているものと認められること、以上のとおり、被告人に有利にしん酌すべき諸点を指摘することができる。加えて、本件強盗殺人は、被告人の両親以外の他人に類を及ぼす危険性のあった犯行ではなく、一般人の社会不安を殊更駆り立てる側面は比較的少なかったものといえるから、社会的影響を重視する立場、あるいは一般予防の見地から厳しい処罰をなす必要性は必ずしも認め難いというべきである。さらに、死刑が宣告された他の事件と本件とを対比しても、個別的事情は千差万別であり、本件において死刑を宣告しなければ、他の事件との関係で権衡が損なわれ、ひいては、国民の裁判に対する信頼を揺るがす結果になるものとも断定できない。
以上の諸事情を総合して勘案すると、本件については、極刑がやむを得ないと認められる場合に該当するとはにわかに決し難いものというべきである。
そうすると、被告人に対しては、その終生をかけて反省と悔悟、弔いの日々を送らせて、両親である被害者両名の冥福を祈らせるのが相当であるとして、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑が軽過ぎて不当であるとまではいえない。論旨は理由がない。
よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、同法一八一条三項本文によりこれを被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊藤邦晴 裁判官 内藤絋二 裁判官 森 一岳)